母のルーツを探して──ブラジルから来たシュウさん夫妻と、亡き母・ヒサコさんの物語
どうも、ロッキーミュージアムの館長です。
先日、テレビ東京の人気番組『YOUは何しに日本へ?』を観ていたら、思わず手が止まってしまいました。ラーメンの記事を書こうと思っていた手が、です。それくらい、心を持っていかれる物語だったんです。今日はその感動を、どうしても皆さんにお裾分けしたくて筆を執りました。
スカイツリーのたもとで出会った、ブラジルからのご夫妻
舞台は東京スカイツリーのたもと。アサヒビールの金色のオブジェが見える、あの橋の上です。番組がインタビューしたのは、ブラジルから来日したばかりのシュウさん(58歳・銀行員)と、奥さまのリヤニさん(55歳・保育士)。
「私たちは夫婦です」と笑うお二人。なんと結婚30周年の記念旅行で、東京・福岡・鹿児島を巡る旅の真っ最中なのだとか。
そしてシュウさんは、日系ブラジル人2世。お母さまは鹿児島生まれの日本人だといいます。
「鹿児島は母の故郷だから、そこに初めて行くのが楽しみだよ」
その言葉の奥に、想像もしなかった深い物語が眠っていました。
母・ヒサコさん──貧しさの中を生き抜いた人
シュウさんのお母さま、ヒサコさんは1931年(昭和6年)、鹿児島県に生まれました。10人きょうだいの3番目。日本がまだ貧しかった時代、ヒサコさんは幼い頃から実家の農家を手伝い、勉強したくても勉強できない少女時代を過ごしたそうです。
「家の手伝いばっかしよ。勉強したくてもできなかった」
そう語るのは、後に登場する弟さん。だからこそ、ヒサコさんはわが子に口うるさく「たくさん勉強しなさい」と言い続けたのだと。自分が叶えられなかった願いを、子どもに託していたんですね。
中学卒業後は織物工場へ就職。そして20歳のとき、家族に仕送りをするため、自ら希望して織物の指導員としてブラジルへ渡ります。当時のブラジル・サンパウロでは、土地柄コーヒー栽培が難しく、代わりに繭(蚕糸業)の生産が盛んになっていた時期。日本の製糸工場も現地に設立され、ブラジル蚕糸業の勃興を日本移民が支えていたのだそうです。「ブラジルに行ったら給料が倍以上もらえる」と聞いて、家が貧乏だったから親孝行せなアカン、と。
異国の地でヒサコさんは運命の出会いをし、結婚・出産。そのままブラジルに移住しました。やがてがんと闘いながらも、専業主婦として家族を支え抜き──享年54という若さで、その生涯を終えます。シュウさんがまだ20歳のときのことでした。
「家族のことを本当に愛して、最後まで尽くしていた人だと聞いてるわ」
リヤニさんが、義母を偲んでそう語る姿が胸に刺さりました。
「大好きな母のルーツを知らずには、死ねない」
シュウさんは、母から日本の話はよく聞かされて育ちました。でもある日、ふと気づいてしまうんです。
「日本のことはよく聞いたけど、母自身のルーツを、僕は何も知らない」
母が若くして亡くなったため、当時の話をゆっくり聞くことができなかった。大好きな母のことを何も知らないまま死ねない──そう思い立ち、母の死後およそ40年、コツコツとお金を貯めて、ようやく叶えた来日でした。
子どもの頃から、母はずっと言っていたそうです。「一緒に日本に行こうね」と。その約束を、シュウさんは奥さまと二人で果たしに来たのです。
唯一の手がかりは、母が残した「弟」の情報だけ
ところが、ルーツ探しは難航します。母・ヒサコさんが残していたのは、5歳年下の弟・シゲトシさんの住所と電話番号だけ。
日本在住のブラジルの知人を通じて叔父さんに電話してもらったところ、なんと「そんな人は知らない」との返事。一瞬、手がかりが途切れたかに思えました。
でも、これには理由があったんです。電話で母の名前を伝えたとき、叔父さんの奥さんには「ヒサコ」が**「チサコ」**と聞こえてしまっていた。だから「そんな人はいない」と答えてしまったというわけ。電話越しの、たった一音の聞き違い。なんとも運命的というか、ドラマみたいな話です。
そこで知人が、シュウさんに代わって写真や旅の目的を手紙にしたため、改めて送付。すると今度こそ、叔父さん──シゲトシさんに、すべてが伝わったのです。
鹿児島で、ついに叔父さんと再会
母の弟さんは鹿児島に。シュウさんは、ついに念願の対面を果たします。
涙ぐむ叔父さん。「甥っ子」というテロップとともに映し出された、その柔らかな表情。叔父さんの口から語られる母の若き日々──勉強できなかったこと、家族のために海を渡ったこと、その一つひとつが、シュウさんの中の「知らなかった母」を埋めていきます。
「お袋にあんな過去があったから、僕に勉強しろと言い続けたんだと、今わかりました」
そして日本の家族と食卓を囲んで味わったのが、母の故郷の味・鹿児島ラーメン。豚骨ベースの半濁スープに、ストレート麺。タレには地元の甘味の強い醤油を使うのが特徴です。これはもう、館長としても見逃せない一杯。母が育った土地の味を、母が遺した家族と一緒に啜る──ラーメン好きとしても、こんなに沁みる丼はありません。
「あと10年以内に、日本に住むよ」
叔父さんとの別れ際。シュウさんは、晴れやかな顔でこう宣言しました。
「今決めたんだけど、あと10年以内に日本に住むよ」
母が叶えられなかった「故郷に帰る」という願いを、息子のシュウさんが、形を変えて引き継いでいく。そんな決意の言葉に、隣のリヤニさんも目を細めていました。
母が一音の聞き違いで一度は途切れかけた縁が、一通の手紙で再びつながる。貧しさの中で海を渡った一人の女性の人生が、40年の時を経て、息子の手で故郷に還っていく。
血のつながりというのは、距離も時間も越えていくものなんですね。我が家もカミさんと長年連れ添ってきましたが、家族のルーツを大切にする気持ちに、国境なんて関係ないのだと、改めて教わった気がします。
ヒサコさん。あなたの想いは、ちゃんとお子さんに、そしてお孫さんの世代に受け継がれていますよ。
それでは、また。 館長










